遥かなり昭和

第三章 父子二代の天皇理髪師
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間違いなく、粗相のないように・・・・・・。
 陛下に御理髪係としてお仕えするに当たって、百武侍従長からご注意いただいたのは、その言葉だった。私が陛下の御用を務めるに当たって、落度のないように気を付けたのは言うまでもないが、時には思ってもみなかったことが起きる。
 昭和十八年のことだった。秋も深まった十一月であったと思う。
 戦況が厳しくなった時代であったから、宮内省では御殿の電気や暖房なども節約に務めていた。その日は、予定されていた調髪日ではなかったこともあり、急遽理髪室のスチーム暖房を入れていただいた。
 そのせいであろう、またいつもの「ガーッ」の音がした。陛下に申し訳ないと思いながら、初めてのことではないから気に止めなかった。御調髪を終えて御洗髪に移ったときである。私はお湯を通すパイプ管の異常に気付いた。蛇口から出てくるお湯の温度がいつもと違うのである。
 初めのうちこそ熱い湯が出ていたが、だんだん温(ぬる)くなっていく。不安な予感がした。そのうちに完全な水になってしまった。思わず冷汗が出た。
 ともかく、陛下はこのままではお寒いはずだ。誰か急いで人を呼ばなければならないが、侍従さんは自分の部屋に帰っていて、御理髪が終わる頃でないと姿を見せない。かといって、電話をかけることもできない。
「申し訳ございません」
 そう申し上げると、とりあえずシャンプー液をタオルでお拭きし、ご洗髪中の姿勢のままで陛下にお待ちしていただくことにした。そして私自身は脱兎のごとく三階の理髪室から地下一階まで駆け降りて行った。
「どうしたんですかッ。お湯が出ない・・・・・・」
 思わず、そう怒鳴ってしまった。
「そうですか? そんなことはないはずですが・・・・・・」
 係の職員は悠長な返事をしていたが、私の形相から事の重大さを悟ったらしい。取りあえず、お湯を理髪室に運び上げなければならない。大きな桶にお湯を満たすと、私と職員で運んだ。
 陛下が冷たい御髪のまま、下を向いた姿勢のまま待っておられる――。
 そう思うと、思わず駆け足になる。職員も私に歩調を合わせた。気ばかり焦るせいだろうか、桶からは水がこぼれて廊下や階段には水貯りができていくが、そんなことに構ってはいられない。私も職員も、手桶のお湯を浴びて、びっしょりである。
 ようやく三階の階段のところまで辿り着いたが、職員はそこからは入ってくれようとしない。玉座のある三階へは許されていないのである。
「そんなこと言ったって、陛下がお待ちです。上がってきて下さいッ!」
 私も命令口調になっていた。職員は廊下を歩きながら「いいんですか。本当にいいんですか」と口にして、理髪室の入口まで来ると、その先は絶対に入ろうとしなかった。
 桶のお湯は重かった。本当は御洗髪台まで一緒に運んでもらいたかったが、仕方がない。
「またあと、お湯を頼みますよッ」
と、その職員に声をかけ、私は一人で運んだ。よくあれだけ力が出たものだと思うが、ともかく夢中だった。
 陛下のところにお戻りすると、すぐ御洗髪を再開した。桶には手桶を入れておいてもらったので、お湯に水を差して使った。やりづらかったが、贅沢を言ってはいられない。
 そのうち、階下からは三人がかりでお湯をたっぷり運んできた。相変わらず理髪室の入口までだから、自分で取りに行かなければならない。それでも、やかんを持ってきてくれたので助かった。私は手桶をやかんに変え、どうやらご洗髪を無事終えた。
 それにしても陛下には、本当にご不便をおかけしてしまった。普段なら十分少々で済むところをこのハプニングで三十分くらいかかっている。ところが、陛下は全然動じられずに、いつもと同じ表情で「有難う」とおっしゃって下さった。
 本当にお偉い方だと思った。
 私はさまざまなお客様を見ている。田村町の本店には、社会的地位の高い方がたくさんお見えになる。近衛文麿さん、吉田茂さん、皆うちの常連でいらしたが、英国大使時代の吉田さんなど帰るときに迎えの車が玄関に横付けするのが少しでも遅れると、「どうしたッ」と、大変な剣幕だった。もし、洗髪中にこんな事故が起きようものなら、とても只事では済まず、大変なお叱りをいただくであろう。
 それを陛下は、一言もおっしゃらず、いつもと変わらぬ笑みさえ浮かべて下さった。
 私は泣けてしまった。
「申し訳ございません・・・・・・」
 そう申し上げたきり、頭を上げられなかった。
 全身、お湯にまみれてびっしょりになったまま、畏れ多くて、泣けて、泣けて仕方なかった。ポロポロ涙が出てきて、あとはよく覚えていない。
 陛下は薄々、事情を察知して下さったのだろうと思う。この日、御椅子を立たれるとき、あえて私のほうをご覧にならなかったのは、精一杯の私へのご配慮であったのかもしれない。
 畏れ多くも、陛下のご立派な暖いお心を垣間見せていただいた一日であった。

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